「言論の自由」では消せない『ウォール・ストリート・ジャーナル』の汚点

CRI 時評

  米国社会では長年に渡り、人種主義の亡霊が見え隠れしてきた。新型コロナウイルス感染の爆発的流行は、一部の人にとって人種主義の厄災を解き放す口実になった。例えば、『ウォール・ストリート・ジャーナル』がこのほど発表した『中国はまさにアジアの病夫だ』と題した論説は、人種差別を公然と扇動するものだ。この報道は人類の良識の最低ラインを踏み破ったものであり、国際社会から全面的な非難を浴びた。

 ところが『ウォール・ストリート・ジャーナル』は全く意に介さず、逆に、いわゆるニュース報道と論評の分離、編集の独立などを口実に、謝罪を拒否した。同論説の執筆者であるウォルター・ラッセル・ミード氏が所属するバード大学も、「本学はメディアの言論の自由を尊重する」と表明した。米国のいわゆる「言論の自由」はすでに、人種主義の隠れ蓑と化している。米国の一部の者がしばしば口にするこのスローガンは、実際には彼らがダブルスタンダードを用いて、自らと異なる者に圧力をかける政治の道具だ。

 例えば今年1月、ポンペオ米国務長官はナショナル・パグリック・ラジオ(NPR)のマリー・ルイス・ケリー記者の取材を受けた際、ウクライナ問題についての質問に不満を抱いた。NPRの公式サイトによると「取材は中断され、ケリー記者はポンペオ長官の個人的な客室に呼ばれた。ケリー記者は大声で怒鳴りつけられた」という。ポンペオ長官は数日後、NPRの記者一人を、外遊に随行する記者名簿から削除した。2018年11月には、CNNのジム・アコスタ記者が鋭い質問を連続したことで米国の指導者と言い争いになり、ホワイトハウスの記者証を取り上げられた。

 これらを見るに、米国の一部政治家が標榜する「言論の自由」はそもそも存在しない。「言論の自由」とは事実上、彼らが自らの好き嫌いで判定し、考え方や利益に合致する場合はすべて「言論の自由」として、そうでなければ攻撃したり圧力をかけたりする。まさにこのような政治的雰囲気のもとで『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、信じられないほどの傲慢さと偏見を示した。3月15日現在も、この人種差別色に満ちた論説は、一文字も修正されることなく、『ウォール・ストリート・ジャーナル』の公式サイトに掲載され続けている。このことは、この100年の歴史を持つ老舗メディアにとって、ぬぐい去ることのできない道徳上の汚点となり、歴史的恥辱となった。