はっきりとした墨文字が残る竹簡
三国時代の証と名刺の原型
岳麓書院を後にし、長沙簡牘(かんとく)博物館に向かう。まだ紙が発明、普及していなかった頃、書写には簡(かん)と言われる竹を薄く裂いた札(竹簡)、牘(とく)と言われる木を削った札(木簡)が使用されていた。
中国では紀元前から使われていた竹簡、木簡が多く出土している。ここ長沙でも三国時代のものをはじめ多くの簡牘が出土している。三国志に出てくる武将の名が記されているものもあれば、当時の租税や戸籍、統治体制がわかるものまで幅広く収蔵されている。
木簡は日本の博物館でもよく見かけるが、細い竹板を紐で綴った巻物のような竹簡は珍しい。保存状態が良く文字がはっきり読み取ることができるものも多い。氏名に肩書と出身地を書いた木簡、いわゆる現在の名刺の原型になったものなど、あまり歴史に詳しくなくても興味深く見て回ることができる。
古代の武将や役人、人々の生活がこれほど詳しくわかるのは、書に関して長けていた中国ならではかもしれない。当時、公文書を記録する者は重要な役職であったという。それ故その記録が残ることを怖れた役人から命を狙われることもあったそうだ。
20世紀後半から特に多く出土した簡牘は、都市開発が進む工事現場からのものが多いという。新しい商業施設、マンションの建設が進む一方、思いも寄らないところで古代史の証が発見されている。1996年度の中国の十大考古新発見にもなった三国時代の簡牘の出土は、日本企業と湖南省の合弁会社による商業ビル建設の工事現場からである。
館内を巡りつつ、なにか数百年の時を経て託されたタイムカプセルを開けてみたかのように思えてきた。
(写真・文/倉谷清文)