人民網日本語版
植えられた木を1メートル間隔で並べると地球の赤道54周分に
楡林市楡陽区孟家湾鎮中営盤ダム付近の植生(撮影・李羽佳)。
間もなく古希を迎える「全国砂漠化対策の英雄」の石光銀さんは4月22日、いつも通り陝西省楡林市定辺県狼窩沙で忙しく働いていた。彼は陝西省北部の「砂漠緑化」プロセスをその目で見つめ、また自らも参加してきた。今、彼の願いはついに叶えられた。陝西省林業局は同日、楡木市の砂漠緑化率がすでに93.24%に達したことを明らかにした。これは、毛烏素(ムウス)砂漠が陝西省域内から「消失」しようとしていることを意味する。陝西日報が伝えた。
国家林業・草原局の張建龍局長は、「中国の砂漠化対策は楡林市から始まった。楡林市の砂漠化対策の成功経験は、中国だけでなく世界の砂漠化対策の動向もリードしている」と評価する。
また、全国模範労働者で陝西省砂漠化対策の「先進個人」である張応龍さんは、「1000年以上の歴史を経て、オアシスは砂漠に変わってしまった。共産党は人々を率い、70年かけてその砂漠をオアシスに戻した」と語った。
ムウス砂漠は中国四大砂漠の1つで、総面積4万2200平方キロメートルのうち半分が陝西省楡林市の域内にある。ムウス砂漠は「人の作用によってできた砂漠」と呼ばれている。歴史上、ここはかつて水と草が豊かで美しく、牛や羊が群を成していた。しかし唐代から明・清代にかけて、人間が不合理な開発利用を行ったため、ムウス地区は次第に広く果てしない大砂漠へと変わってしまった。
新中国成立当初、「風が強く吹き、黄砂が舞って目を開けていることもできず、農作物も育たなかった。家屋も砂に埋もれて人々は移住を余儀なくされ、砂を見つめて首を振るだけだった」というように、依然として楡林地区は劣悪な生態環境のリアルな見本のような場所だった。
緑化は楡林の人々の千年にわたる夢だった。三北防護林や天然林保護、耕地を森林に戻す「退耕還林」措置など国家重点プログラムが相次いでスタートし、ますます多くの人がこの地に目を向け、足を向けるようになった。「全国砂漠化対策英雄」である牛玉琴さんは30年以上かけて約7333ヘクタールの土地の砂漠化対策に取り組み、補浪河女性兵士治沙連は14人の歴代連長のもとで、累計800ヶ所以上の砂丘を平らにし、防風砂防林ベルトを35本作り上げた。石光銀さんは全国初の農民株式制の砂漠化対策会社を立ち上げ、一生の事業として砂漠化対策に取り組んでいる。この土地に生きる人々は砂漠に木を植え、「勇気をもって世界を変えていく」という英雄的な気概をもって、感動的な砂漠化対策の壮挙を成し遂げてきた。
70年来、楡林地区では年1.62%というスピードで砂漠を緑地に戻し、ムウス砂漠の面積を絶えず縮小してきた。植えられた樹木を1メートル間隔で並べると、地球の赤道54周分になる。森林率は新中国成立当初の0.9%から34.8%まで向上し、陝西省の緑化面積は北へと400キロ余り広がった。
豊かな自然が戻ってくると、経済効果も現れるようになった。近年、楡林地区ではビニールハウス栽培や育苗、砂漠観光などが盛んになり、全市で砂漠関連産業に従事する企業・事業機関は150社以上となり、年間の生産額は4億8000万元(1元は約15.2円)、従事者数は10万人以上となった。
陝西省林業局の党双忍局長は、「自然地形としては、ムウス砂漠は本当に消失したわけではなく、流動砂丘が全て固定されたにすぎない。こうした対策成果は人工的な介入によるものであり、今後もさらに砂漠の生態をプラスの方向に遷移させ、自己循環発展を実現し、根本から砂漠の生態環境を変える必要がある」と語った。