漢中の県級博物館が三国文化で賑わう

【北京2023年8月1日PR Newswire】

*人民日報からのリポート:

三国時代(西暦220-280年)は、魏・蜀・呉の王朝によって中国が3国に分割された歴史初期の興味深い時代であり、中国の歴史で最も広く知られている時代の1つです。この時代に関連する文化は、奥深い影響を及ぼしています。

三国時代、魏と蜀の主戦場となった中国北西部の陝西省漢中は、地理的に重要な位置にあります。

三国時代には、「定軍山を得るものは漢中を得て、漢中を得るものは国を得る」という言葉がありました。

定軍山はどこにあるのでしょうか?

それは漢中の、2000年以上の歴史を持つ小さな町、勉県にあります。

近年、勉県博物館は収集品を充実させ、宣伝手法を革新し、三国文化を促進する取り組みによってその名が知られるようになりました。より多くの観光客に、中国の歴史と文化の美しさを伝えています。

この博物館の規模は大きくありませんが、青銅製の鉄びし、約1900年前の青銅製の石弓、後漢時代(25-220年)に建てられた中国の四合院の貴重な模型など、訪問者を動乱の三国時代に引き戻すことができそうな文化財や物品が数多く収蔵されています。

勉県博物館に10年以上勤務するXiao Yongqin副館長は人民日報に、はるかに遠い三国時代の文書や関連する物品は、いまやあまり残っていないため、こうした文化財は三国時代の歴史を研究する上で極めて重要であると述べました。

勉県博物館に陳列される文化財の多くには、それぞれに固有の物語があります。

1970年代から1980年代にかけて、勉県の定軍山と漢江の近くにある武侯坪で、青銅製の鉄びしである「tongjili」と呼ばれる古代の武器が発見されました。この武器には長さ2センチの釘が4本あります。地面に投げつけると、どのような投げ方でも釘の1本が必ず上を向きます。この武器は古代、騎兵や軍隊の進軍を遅らせる目的で使われ、中国では「馬の釘」とも呼ばれています。

史料によると、三国時代の蜀の役人であったYang Yiは、魏の武将である司馬懿(しばい)の追っ手を防ぐために青銅の釘を使用したことがあります。

勉県博物館の案内係であるQin Jiaying氏は「この武器は、現代の道路バリケードに似ています」と述べました。

現在、この博物館は発掘、購入、収集した2000点以上の文化財からなる豊富なコレクションを誇っています。これら文化財の一部は、中国国家博物館、中国人民革命軍事博物館、陝西省歴史博物館に展示されています。また、日本、米国、英国などへの巡回展示にも出展されました。

大きな博物館にはより多くの人たちが来場しますが、三国時代の文化財はあまり展示されていません。三国時代の文化財を多く収蔵する県レベルの施設として、勉県博物館がどのようにその優位性を発揮できるかが、Xiao副館長にとってここ数年の大きな関心事です。

Xiao氏は、人々の文化への愛着を高めるのは、文化への持続的なアクセスであると考えています。

そこで勉県博物館はソーシャルメディアの使用を開始しました。文化財に関する短編ビデオシリーズを作成し、毎週1話ずつ公開し、WeChatで博物館の歴史、伝統文化、ニュースに関する記事を各営業日にリリースしています。

宣伝方法を変えたことで、博物館の影響力は高まる一方です。今年のメーデーの休暇中、勉県博物館への来訪者数は4年前と比べて少なくとも30%増加しました。

文化財の保存と文化のプロモーションには、やるべきことがまだ残っているとXiao氏は述べました。

Xiao氏は「文化財の物語をよく伝え、それを生き生きとさせてこそ、三国文化や中国の歴史に多くの人を引き付けることができるのです」と付言しました。

勉県博物館の発展は、漢中が特色ある文化を活用し、文化と観光の一体的発展を模索することの縮図です。

漢中には長い歴史と深い文化があり、そこにはユネスコ世界遺産に登録された張けん墓、世界かんがい施設遺産に登録された漢中三堰水利プロジェクト、国家レベルの保護下にある龍こう寺遺跡などがあります。

近年、漢中は張けんを偲ぶ式典や、三国時代に蜀の宰相を務めた戦略家、諸葛亮をテーマにした旅行フェスティバルなど、一連の特色ある文化活動を立ち上げました。また、食のフェスティバルや没入型パフォーマンスなど、多くの文化・旅行商品も開発しました。

今年のメーデーの休暇中、漢中は130以上の文化・観光行事を展開しました。休暇中の漢中への観光客数と観光収入はともに2019年を上回りました。