北京、2023年6月20日 /PRNewswire/ -- 6月の第3日曜日の父の日には、人々は父親に対する感謝の気持ちを表したり、一緒に過ごした大切な思い出を思い出したりするものです。
中国の習近平国家主席の本棚には、車椅子に乗った父である習仲勲を押しながら、その横を自分の妻と娘が歩いている写真が飾られています。
農民の息子から指導者になった習仲勲(1913~2002年)は、常に自分自身を労働者の一員とみなしていました。
質素な生活
習家では、子供を厳しくしつけ、質素な生活を送るという伝統があります。習仲勲は、日頃から子供たちに質素倹約を説き、お手本を示していました。
娘である習橋橋(Xi Qiaoqiao)の回想によれば、習仲勲はテーブルの上に落ちた米粒や饅頭(マントウ)のくずを拾って食べ、そして饅頭で汁椀を拭っていたそうです。
習近平は子供の頃は、姉たちのお下がりの服や靴を身に着けていました。中国北部の河北省正定県で働いたときには、習近平はつぎはぎだらけのマットレスを持って行きました。中国南東部の福建省寧徳市で仕事をした際には、自分の事務所や寮の改装をしないように要請しました。
習近平はまた、家庭教育や美徳の重要性を幾度となく訴えてきました。「どんなに時代が変わっても、家族の価値、家庭教育と家族づくりを重視する必要がある。何百万もの家族こそが、国家の発展、民族の進歩、そして社会の調和のための重要な礎となるようにしなければならない。」と述べています。
中国共産党中央委員会総書記に就任して以来、習近平は倹約の実践を繰り返し呼びかけ、贅沢や浪費に反対してきました。
習仲勲の家訓は、その子供たちにとって鏡であり、基準であり、指針であり続けたのです。
「国事の優先」
2001年10月15日、習仲勲の88歳の誕生日に、珍しい家族の親睦会が行われました。
しかし、当時福建省の省長だった習近平は、多忙のため欠席しました。その代わり、父に宛てて心温まる手紙を書き、出席できない申し訳ない気持ちを伝えました。
その手紙の中で、「親父が中国人民のために黙々と働く姿勢に触発されて、私は今人民のために生涯を捧げています。」と綴ったのです。
その手紙を読んだ習仲勲は、息子の不在に理解を示し、家族や友人たちに、「仕事が優先で、国事は最優先である。人民のために尽くすことが最大の親孝行である。」と語りました。
優れた家訓は、党と政府の仕事に対する姿勢に影響を及ぼします。
習近平は第18回中国共産党全国代表大会以降、当時極度の貧困状態にあった14の隣接する地域を訪れて、貧困救済活動の視察を50回以上行いました。
「貧困の実態を見る」ことから「貧困をなくす」ことまで、習近平とその家族は歴史的な責任をしっかりと背負ってきたのです。
習仲勲はかつて、「自分がどんな職階にあっても、真摯に人民に奉仕し、心から人民の利益を考え、人民と密接な関係を保ちなさい。そして、常に人民にとって親しみやすい存在でいなさい。」と、息子に教えました。
この言葉を胸に、習近平は自分が人民の奉仕者となるきっかけとなった出来事を忘れることはありません。
父の日:習近平の父が息子に贈った言葉、中国の習近平国家主席の本棚には、車椅子に乗った父、習仲勲を押しながら、妻と娘が並んで歩く習近平の写真が飾られています。CGTN