中日双语|大熊猫“香香”马上要回国了,日本人为她写了这封情书……

 远藤英湖 / 转自《人民中国》

日本上野动物园的大熊猫香香将于本月21日回到中国。随着日期临近,许多日本民众来到动物园与她告别。

其中,远藤英湖就是这样一位喜欢香香的日本人。在和香香告别之际,她写了这篇感情真挚的文章,让我们一起来看看她和香香的故事。

献给香香的情书

东京上野动物园的大熊猫“香香”年满5岁,将于本月21日飞往中国四川。对此,许多日本人说香香“去中国留学了”。他们希望香香在中国生下熊猫宝宝后,有一天能和家人一起回东京的“老家”。

上野动物园东园的熊猫馆,香香就住在这里

我和香香的第一次相遇是在2020年的秋天。那时听闻她要回中国,我急忙去见她,没想到马上就被她迷住了。最初我只是想看看熊猫,很快就开始一心只想见香香,现在甚至已经发展成了想觐见“上野公主”的心态。

香香在“香吊床”中休息(摄影:高氏贵博)

我还学会了许多“专业术语”。例如“熊猫活”(为了自己热爱的熊猫而进行的各种应援活动)、“熊猫友”(通过熊猫认识的朋友)、“缝隙产业”(从前排人的夹缝中拍摄熊猫)、“香吊床”(香香的吊床),还有香香的好朋友,一只名叫“Kataro”的乌鸦。

上野车站的书店里陈列的与熊猫有关的书籍

香香的出现让熊猫在日本成为了偶像,她的一举一动都上了头条,牵动着日本人的心。书店里摆满了香香的写真集和DVD,《熊猫自己(パンダ自身)》这本杂志也很畅销。

上野动物园礼品店内的香香主题商品

上野动物园的礼品店里播放着女艺人演唱的歌曲《谢谢你香香(ありがとうシャンシャン)》,陈列着不断推陈出新的香香周边商品,购物的人们每个人眼神都闪闪发光。

上野动物园礼品店里的熊猫主题点心

大家从网上得知“购买产品可获得香香的贴纸或徽章”时,许多人赶到上野的百货公司和车站大楼领取纪念品,到处都洋溢着幸福的笑容。

装饰在上野车站里的熊猫圣诞树

在“七五三”(日本庆祝儿童成长的传统活动)时,大家一起庆祝香香的成长;圣诞节时,上野车站内还装饰了香香主题的圣诞树。

每逢香香的生日,上野车站的发车牌上都会显示祝福语;在她五岁生日的时候,粉丝们为了见香香不惜排队4小时。

上野一家老牌百货公司的门口挂着香香的横幅

上野一家老牌百货公司的入口处现在就挂着由香香920天的照片制成的悬挂横幅,内部也全都是香香的装饰,还有各种摄影展和粉丝留言等,整个上野都在向香香发出爱的呼唤。

上野的一家百货公司正在举办香香的摄影展

参观者被香香的920张照片所吸引

香香为什么让我们如此着迷?她出生在上野,我们看着她成长,就像看着自己的女儿或孙女一样。随着网络的发展,我们可以看到她每天的生活。由于疫情原因她“暂缓”回国,在日本居住了五年零八个月。除了这些原因之外,我认为香香虽然是“全宇宙最美丽的女孩”,却常常摆出滑稽的表情,做着调皮可爱、异想天开的事情,这之间的反差也非常触动大家的情感。

大熊猫香香(摄影:高氏贵博)

对香香的着迷让我们愿意排队很久去见她。有的人甚至从很远的地方坐夜车、高铁或飞机来专程前来。随着最后一个自由参观日(1月20日)的临近,动物园开园之前门口排队的时间越来越早,队伍也越来越长。

我和其他许多人一样,带着野餐垫和折叠椅排了好几次队。有一天早上五点我就到了,那时天还很黑,我心里有点不安。当太阳逐渐升起时才松了一口气。我印象很深的是,那时雅乐的笛声在宁静的清晨里回荡,我还和大家一起做了广播体操。上午9点半时,我按照保安的指示,满怀期待地进入动物园。在寒风中瑟瑟发抖的我见到香香后格外欣喜。

大熊猫香香(摄影:高氏贵博)

终于,1月20日这一天还是到来了。凌晨3点我打开窗户,扑面而来的冰冷雨滴让我心灰意冷,冻得我仿佛钻进了冰窖,不得已放弃了尽早出门的想法。当听说有人在首班电车发车前就骑车出发,甚至前一天晚上就在门口排队时,我惊讶得无言以对。排队时间截止到12点半。我在队伍中和一起排队的人聊天,分享了自己与中国以及香香的回忆,站得腰腿酸痛时大家还为彼此加油打气。270分钟后,我终于见到了香香。那时,动物园里响起闭园时播放的《天鹅》的旋律,香香带着幸福的微笑睡着了。她的动作还是那么有幽默感,让大家边笑边流下离别的泪水。大家约好再见后才不舍地离去。

目前,只有抽签中签的人才能再和香香见面。无论是否能见到她,我相信很多粉丝都会来动物园,只为了和香香呼吸同样的空气,守护她直到离开的那天。

我希望中国人能够了解日本人对熊猫的深爱之心。我也希望日本人民会因为香香而对中国更感兴趣。

我可能这辈子都不会再排这么长的队了。她的离开虽然让我倍感寂寞,但随着时间的推移,我相信自己热爱香香的时光将成为永不磨灭的珍贵记忆。

还有一天,还有一天……与香香的永恒的记忆还在积累。我为香香的幸福,为大熊猫的美好未来,为日中两国长久的友谊而祈祷。

大熊猫香香(摄影:高氏贵博)

シャンシャンに捧ぐラブレター

東京・上野動物園のジャイアントパンダ「シャンシャン」。5歳になった彼女が2月21日、四川省に渡航することを人々は「シャンシャンの中国留学」と表現する。そこには「中国で赤ちゃんを産んで、いつかまた家族で“実家”の東京に戻ってきて欲しい」という日本のファンの期待と願いが込められている。

私がシャンシャンと出会ったのは2020年秋。「帰国する」とのニュースを見て急いで会いに行き、一瞬で恋に落ちた。「パンダを見にいく」という気持ちは、すぐ「シャンシャンに会いにいく」に変わり、今ではすっかり「上野の姫様に謁見する」になってしまった。

いろいろな「専門用語」も覚えた。パン活(パンダの推し活)、パン友(パンダつながりの友人)、隙間産業(大勢の人の頭の隙間からパンダを撮影する)、シャンモック(シャンシャンのハンモック)、そしてシャンシャンの親友・カラスの「カ太郎」の名前まで。

シャンシャンはパンダをアイドル化した。彼女の動向はメディアで大きく報道され、その内容に日本人は一喜一憂する。書店にはシャンシャンの写真集やDVDが並び、『パンダ自身』という雑誌も大人気だ。上野動物園内のギフトショップに行けば、女性タレントが歌う「ありがとうシャンシャン」が流れる中、みんな次々と発売されるシャンシャンの新商品を手に取り、目を輝かせている。「商品を買うとシャンシャンのステッカーや缶バッジをもらえる」とのお知らせがインターネットで発表されると、多くの人が上野のデパートや駅ビルに殺到、記念品をもらって嬉しそうな笑顔があちこちに溢れるのだ。七五三(子供の成長を祝う日本の伝統行事)ではシャンシャンの成長をみんなで祝い、クリスマスには上野駅にシャンシャンのクリスマスツリーまで登場。毎年シャンシャンの誕生日には上野駅の発車案内版にお祝いメッセージが表示され、5歳の誕生日にはシャンシャンに会うためファンは240分並んだ。現在、上野の老舗デパートの入り口はシャンシャンの写真920日分を使って制作された大きな懸垂幕が飾られ、館内もシャンシャン一色だ。その他各種写真展やファンから寄せられたメッセージなど、上野の街全体でシャンシャンにラブコールを送っている。

シャンシャンはどうしてこれほどまでに私たちを夢中にさせるのだろう。上野で生まれた彼女の成長を娘や孫のように見守ってきたこと、インターネットの発展で彼女の日々の様子を目にすることができたこと、コロナ禍での「延長」で5年8カ月も日本にいてくれたこと。このような理由に加え、「宇宙一の美少女」なのに、面白い表情をし、お転婆で奇想天外なことをするギャップが私たちの感情を大きく揺さぶるからではないだろうか。

シャンシャンの魅力にとりつかれた私たちは長時間並ぶことも厭わない。遠くから夜行バス、新幹線、飛行機で来る人も。自由観覧できる最終日(1月20日)が近づくにつれ、開園前から動物園の前に並ぶ時間はますます早くなり、人の列もどんどん長くなっていった。

私も他の人たちと同様、レジャーシートや折り畳み椅子などを持参して何回も並んだ。5時に行った日は空が真っ暗で心細かったが、徐々に太陽が昇ってきてホッとした。静謐な朝の大気に響く雅楽の笛の音や、ラジオ体操に参加したことも深く印象に残っている。9時半になり、警備員さんの指示に従い、期待を膨らませながら入園。寒さに震えながらシャンシャンと会えた喜びはひとしおだった。

とうとうやってきた1月20日。午前3時に窓を開け、冷たい雨に肩を落とす。冷凍庫の中のようで早く行くのはあきらめた。始発電車の前から自転車で行った人や、前日夜から並んでいた人の話を後で聞き、絶句した。最終観覧の受付締切は12時30分。前後に並んだ数人と中国やシャンシャンの思い出などについておしゃべりし、足腰が痛くなったら励まし合った。270分後に会えたシャンシャンは、閉園の「白鳥」の曲が流れる中、幸せそうな笑顔で寝ていた。彼女らしいユーモラスなしぐさに、涙を流しながらみんなで笑い合い、再会を約しながら家路についた。

現在、シャンシャンは抽選で当たった人だけ見られる。きっと多くのファンが、シャンシャンに会えても会えなくても、彼女と同じ空気を吸いに出発の日まで動物園に集まるだろう。

一頭のパンダをこんなにも深く愛する日本人の心を中国の方々に知って頂きたい。そして、日本の方々にはシャンシャンをきっかけに中国にもっと興味を持って頂きたいのである。

人生でこんなに行列に並ぶことはもうないかもしれない。今は寂しいけれど、時が経てばシャンシャンに夢中になり、熱狂的な日々を過ごせたことは、忘れられない宝の思い出となるに違いない。

あと一日、あと一日と、私は今日もまたシャンシャンとの永遠の思い出をつくっている。シャンシャンの幸せ、パンダたちの明るい未来、そして日中の友情が末永く続くことを祈りながら。(遠藤英湖)

编辑、翻译:顾思骐

图片提供:远藤英湖