CCTV+:書院に響く音の余韻

【北京2022年11月9日PR Newswire】白鹿洞はいつ、五老峰の横にできたのだろうか。廬山五老峰の南麓に時の変遷を生き延びた荒廃した建物があるが、それは往時の美しさをとどめている。この建物は、中国四大古代アカデミーの中で第一位に挙げられる白鹿洞書院である。数千年の間、数え切れないほどの師匠がここで教え、無数の優秀な学生がここを卒業し、それぞれの道を歩んだ。何世紀もの年月を経た今も、石板に書かれた名前はまばゆく輝いている。西暦1216年、18歳の男が白鹿洞書院にやってきた。江西省都昌県出身の江万里(Jiang Wanli)である。彼は偉大な学者である朱熹(Zhu Xi)に憧れ、ここに学びに来たのである。当時、白鹿洞書院にはすでに非常に多くの学者と数千人の学生がいた。彼らは儒教の古典を学び、「仁・義・礼・智」の儒教精神を伝承し、それによって白鹿洞は中国一の学校になった。

 

西暦1241年、44歳の江万里は白鷺洲書院を設立し、白鹿洞書院の制度を取り入れ、すべての学生を直接指導した。その後、1243年にZonglian Jingshe AcademyとDaoyuan Academyを設立した。晩年は饒州の自宅に芝山書院を設立した。彼は40年の間に4つの書院を設立した。その教育の経歴を通し、彼は一貫して「誠実さと正義」を教育理念として掲げた。

江西のアカデミーの精神は深く広く残っており、江西の文化的背景は生き続けている。南北宋の時代、中国には合計で515の書院があったが、江西には単独で170の書院があり、中国の3分の1を占めた。宋の時代、江西では最高位の科挙の合格者を5534人輩出し、中国で一位だった。明の時代には、中国に1239ある学問所のうち、江西には238の学問所があった。季節の移り変わりは早く、大きな声で本を読む当時の声は聞こえない。しかし愛国心、国民の誠実さ、知識を追求する学問の精神は栄え、広く発展し続けている。