大学生の新たな選択肢の一つとなっている農業での起業

人民網日本語版

5月14日、ライブ配信で多肉植物を販売する故郷の山東省臨沂市輝山村に戻り起業した劉永軍さん(撮影:杜昱葆/人民図片)。

農業基地に足を踏み入れると、すぐ近くには天然木の枝で作られた木枠が置かれていて、その上には、さまざまなデザインの多肉植物が所狭しと並べられていた。また遠くの方には8棟のビニール温室やアウトドア活動エリア、バーベキューエリアが設けられていた。人民日報が伝えた。

湖南省長沙市望城区靖港鎮にあるこのインキュベーション農業基地は、やや質素なつくりながらも、栽培・販売から農業観光に至るまで、さまざまな業態を網羅しており、周辺住民がレジャー娯楽や農業体験を行う上で絶好の場所となっている。基地の責任者は、中南林業科技大学を昨年卒業したばかりの譚俊さん。1995年生まれの譚さんは、地元の方言を話し、いつもビニール温室や畑で仕事をしているため、真っ黒に日焼けしており、一見するとまるで長年農業に携わってきたベテランのような風貌だ。

2017年、当時大学2年生だった譚さんは、大学で学んだ知識を1日も早く実際に運用してみたいと思うようになった。「手始めに、寝室のベランダで多肉植物を育てた。その後、種類がどんどん増えていったので、実家の畑に竹製の小屋を作った。同時に、ライブ配信による直売をスタートさせた。ライブ配信1回あたりの売上は100~200元(約1500~3千円)に上り、それは私の1週間分の生活費に相当する額だった」と譚さんは当時を振り返る。

譚さんは、多肉植物の栽培に適した長沙郊外の栄養土を配合し、それまで学んできた園林に関する知識を用いて、精緻な多肉植物の盆栽を数多く作った。さらに、実践の中で学び得た知識をもとに理論を構築し、在学期間中に、「湖北地区の屋根緑化における多肉植物のより良い運用方法」を研究テーマとする研究課題プロジェクトを申請した。

2019年、卒業の年を迎えた譚さんは、二者択一の難問に直面した。多肉植物の栽培をこのまま続けるのか、あるいは親たちに納得してもらえるような安定した良い仕事を探すべきか。「在学中、親たちはみな、私が新しい物事に挑戦することを応援してくれた。だが、私がいざ農村に根を下ろし、新型農業を始める準備をする段になると、あちこちから反対する意見を耳にするようになった。親戚や隣人たちは、私が故郷に戻ると、もはや前途はないと感じていたようだ」と譚さんは話す。

現地のコミュニティによる支援のもと、譚さんは年間1万元(約15万円)で約0.47ヘクタールの農地を借り受けた。これに自分の家の0.2ヘクタール分を加えて、何とか多肉植物栽培基地の形が出来上がった。譚俊さんはその後、農業で起業した若者が本当に多いという事実を発見する。彼の基地からわずか2、3キロメートル離れたところにもそうした若者の基地があった。1993年生まれの同窓生の曾世傑さんも農業基地を設立し、野菜やドラゴンフルーツを栽培している。望城区には同じような基地がほかにもあり、袁虎さん(34)が営む水稲協合作社の規模は約170ヘクタールに達している。また、20歳になったばかりの丁勝さんも、約13ヘクタールに及ぶ水田で水稲栽培を行っている。

2019年、譚さんの多肉植物基地の販売収入額は80万元(約1200万円)を上回った。多肉植物DIYエリアや屋外BBQエリアなどのレジャー施設を新たに開設し、1ムー(約0.067ヘクタール)あたりの平均年産額は、一般の果実・野菜栽培をはるかに上回る約10万元(約150万円)に達した。今年3月、新型コロナウイルス感染拡大を受け、譚さんの多肉植物基地の販売収入も例年の3分の一ほどに落ち込んだ。こんな非常時に限って、農業起業家にとって最も怖い自然災害も襲来してしまった。大風で複数のビニール温室が全て飛ばされてしまい、計り知れない損失を被った譚さんだったが、多方面からの援助を受けて、現地の農業部門が支給する被災補助金が申請できることになり、これまでで最大のピンチを乗り越えた。

今後、譚さんは、技術価値がより高い多肉植物の品種を栽培し、商品の平均単価を引き上げることを目論んでいる。「10万株以上の多肉植物を栽培しているとはいえ、平均単価はわずか4~5元(約60円~75円)、高級品種の割合は20%にとどまっている。すでに成熟し持続発展の潜在力を備えた多肉植物基地とは、まだまだ大きな差がある」と話す譚さん。最近では彼の基地を母校のインキュベーション拠点に組み入れたいと、母校の関係者が訪れたという。

また今年も就活シーズンがやってきた。ネットの力を借りて故郷に戻り起業することを望む後輩たちが、譚さんの経験を請うために連絡してきているという。「今、レジャー農村や農業のモノのインターネット、農村電子商取引などの新業態が絶え間なく生まれてきている。今後ますます、知識や新たな理念を持ち、技術に対する理解が深い若者は、郷村にとって必要な存在となるだろう。若い人が現地の状況と結び付け、自分自身の専門性という優位性を十分に発揮しさえすれば、そして困難に打ち勝つという心構えさえしっかりと持っているならば、郷村は、彼らがそれぞれの才能を開花させるための大舞台となるに違いない」と譚さんは結んだ。