中国で活躍する俳優・渋谷天馬「世界の人と一緒に仕事をする夢を中国で実現」

人民網日本語版

「中国人と日本人が友達になることはできるのか?」という問いかけに対し、「もちろん。始めは友達ではなくても、一緒にいる時に、相手が自分に親切にしてくれると、その人のことが好きになる。そして、その人の国も好きになる」と答えたのは日本人俳優・渋谷天馬。このほど人民網の独占インタビューに応じ、夢を追いかけ、その夢を中国で叶えるまでのプロセスを語ってくれた(文中敬称略)。

子供の頃からの夢を追いかけて米国に留学

「子供の頃は、世界の舞台で活躍するジャーナリストになるのが夢だった。だから、高校を卒業した後、米国に留学した。でも、米国に行って2年ぐらい経った時、母親が病気になったので日本に帰った。その時は、母親の世話をしながら、米国で留学を続ける準備をしたいと思っていた」。

ところが、帰国後バイトをしている際に、腰を痛めてしまい、全ての計画が暗礁に乗り上げてしまったという。「そうしているうちに6年が過ぎ、『留学してジャーナリストになり、世界の舞台で活躍するほかに、今は何をしたいと思っているのか?』、『今できることには何があるのだろうか?』など、自分に問いかけた。そして、その答えが『俳優』だった」。

米国をあきらめて中国へ

こうして、渋谷は演出から手始めに演技を学び、演劇の世界に足を踏み入れた。

「そうこうしているうちに10年が過ぎたけど、海外に行く機会はずっとなかった。それで、海外に行ってみたいと思うようになった。有名になれるかは重要ではなく、チャンスを探したかった。海外で活躍したいというのが、僕が本来したかったことだったから」。

しかし、どこにいけばいいのだろう?

「米国のハリウッドに行けばいいのだろうか?でも、米国人からすれば、アジアの役者であれば、中国人でも、日本人でも、韓国人でも演じさせることを知っていた。アジア人の役なら、米国人にとっては、アジア人の顔であればどの国の人が演じても一緒なのだ」。

米国以外なら、どこへ行けばいいのだろう?

「当時、日本では、香港地区のカンフー映画がとても人気だったので、僕は、香港地区のことはわりと知っていた。そして、香港地区は既に中国に復帰していたので、これからは香港の人々も普通話(標準中国語)を話し始める。だから、まず普通話をマスターすれば、香港地区や台湾地区なども含めた中国全域、ひいては東南アジアでも中国語を使えると思った。英語も中国語も話せるなら、世界の3分の1以上の人とコミュニケーションを取れるようになる。それに、当時は中国も発展をし始めた時期だったため、世界中も中国に注目していた。それらのことを考えると、とてもワクワクした。これこそがグローバル化じゃないかと。それで、中国大陸部に来ることにした」。

「2006年に中国に来てから、始めの3年間で受けた仕事はたった2、3件だった。しかもどれも、1週間ほどで撮影が終わってしまうような役柄だった。そして2008年に『イップ・マン 序章(原題: 葉問)』に出演する機会を得た」。

「中国は目まぐるしく変化している。以前なら、外国の製作グループが中国でロケをする時にしか、他の国の人と一緒に仕事をする機会がなかった。でも、今は全く異なっている。中国は大きく、その市場も大きい。中国の映画のグローバル化もますます進んでいる。今は、映画などの撮影をする時に、米国や欧州の有名な俳優がたくさん起用され、製作グループの中にも外国人スタッフがたくさんいる。このように外国人と一緒に仕事をする機会は、日本よりかなり多い。それが、僕がすっと中国で俳優を続けている主な理由だ」。

「たくさんの中国の一般の人々を、僕は『友人』と呼んでいる。その友人たちに実際に会ったことはないけれど、みんなインターネットを通して、メッセージを送ってくれ、僕を励ましてくれている。それに僕はとても感動していて、大きな勇気をもらっている。それも、僕が中国でがんばり続けている理由だ」。

「悪役を演じると、日本に帰った時に、日本人にバッシングされることはないのか?」との質問に、渋谷は「『帰国した時に、問題になることはないのか?』と、たくさんの中国人、特に初めて会う人に聞かれる。でも、全然大丈夫。僕は俳優だから」と笑顔で答えた。

さらに、「日本と中国以外の国の人からも、『君はとても素晴らしい俳優だ。なぜなら、君が憎いから』というメッセージをたくさんもらった」というユニークなエピソードも語ってくれた。

「日本でいる外国人で一番多いのが中国人で、約100万人もいる。中国に来たばかりの時、大学に留学し、中国語のクラスにいた日本人は、20代の若者のほかは、全て定年退職して勉強しに来ていた60過ぎの高齢者だった」。

中国に来て10年以上になる渋谷はたくさんの中国人の友達ができた。それだけでなく、東京に中国と日本の文化交流を行うNPO団体を立ち上げ、中日間の文化交流活動を主に行っている。「こうした活動はとても意義がある。異なる言葉に、異なる文化でも、同じ趣味があれば、仲良くなるのは簡単だ」。

「子供の頃、教科書を通して、中国のことをたくさん勉強し、中国に来る前にも、関連の資料をたくさん調べたが、実際に中国に来て見ると、想像とは全然違った」。

「例えば、お箸を例にすると、中国人も、日本人もお箸を使うが、中国のお箸の先は太いのに対して、日本のお箸は細くなっており、異なる。なぜかというと、日本は海に囲まれていて、よく魚を食べるので、その時は先が細いお箸のほうが食べやすいから。そのような小さな違いは、中国に来ていなければ、想像もしないことだ」。

中国と日本の文化の共通点について、渋谷は、「たくさんある。日本の伝統文化のほとんどは中国から伝わったものだ。中でも、唐の時代に伝わったものが一番多い。中国人観光客が日本に行くと、地名も、メニューも見るだけで理解できる。日本人も同じ。なぜなら、漢字が分かるからで、そのため中国に来たばかりの日本人はよく、中国語が上手だと勘違いされる」と話した。

中国電影博物館で、映画「未完の対局(中国語タイトル:一盤没下完的棋)」のパネルの前まで来ると、渋谷は、「この映画はよく知っている。初の日中合作映画」と、声を高めた。同映画は、1972年の中日国交正常化後、初の中日合作映画で、監督、脚本、主演など全てに、中国人と日本人両方が起用された。

「日本兵などの悪役で出演している作品は、第二次世界大戦当時が舞台で、役作りのためにたくさんの資料を調べた。だから、普通の日本人よりも、僕のほうが当時の状況をよく知っていると思う。歴史については、まず、尊重と理解が必要だと思う。中国と日本が友好関係を保つことを願っている。そうでなければ、僕も文化、アート関係の活動など、自分の好きなことができない。僕個人からすると、中国と日本が友好関係を保っていれば、演劇や芸能の面でも、より多くのソースと仕事のチャンスがある」。

「監督として、日中合作映画を製作するというのが、僕の夢だ」。